Memo*

BLや萌、連載の詳細設定など意味の無いの呟きを垂れ流す日記擬き



2015/06/06(土) 木霊文花には霊感がある。

 木霊文花には霊感がある。
 それゆえ彼女は異界の断片を、時折その目で見つめている。


 * * *


 女の子なのに虫取りなんてするの?
 そんな心無い言葉を放ったのは一体誰だったのか。美少女はただ美少女であるというそれだけで周りの妬みをかうのが常のこと。悪意を込められた言葉の一つ一つを一々気にしてなんて居られないから、持ち前の天然さを大いに活用して「そうかな、虫取り面白いよ」と答えたのはいつのことだったか。
 他人の言葉をその度に気に留めてしまっていたら、何もすることができない。他人と違うことを恐れることはない。普通でなくたって良い、それが個性なのだから。
 彼女は利発であったから、それらのことを正しく理解していた。そして今日も他人の言葉など気にもとめず、虫取り網を持って男子さながらの逞しさでもって、家の外へと遊びに出かけるのだ。

「居ないなぁ……」

 周りの木々を見渡して、お目当てのクワガタの姿が無いことに肩を落とす。いつぞやにクマこと熊島五郎太が捕まえていたのが羨ましくて、ここ最近文花はクワガタが居るというおおもり山を散策しているのだが、これが中々見つからない。
 もう少し奥まで行ってみるべきだろうか。でも正直なところ、行きたくない。さて、どうしたものか。
 どんこ池の辺りを右往左往して、どうするかを決めかねていた文花。そしてふと顔を上げた先に見知った姿を見つけて、彼女は声を上げる。

「あ、#名前#くん!」
「フミちゃん」

 名を呼ばれた少年は、目深に被っていた帽子の鍔を上げて彼女の名を呼び返す。彼は彼女の友達であり幼なじみであった。

「こんな所で会うなんて、珍しいね」

 思いがけない邂逅に心を弾ませ、文花は#名前#へと駆け寄る。

「そうかな? 僕の家、この近くだからそんなに珍しく無いと思うけど」
「でも、いつもは神社より奥には行かないでしょ」
「まあね」
「それにしても#名前#くん、背が伸びたね」

 夏休みに入って結構な日数が経っていたため、#名前#と会うのは随分久しぶり。そばで並んでみると、なる程、確かに#名前#の身長が高くなったように感じる。成長のスピードが男女で異なるため、この年齢では女の子の方が大きいことが多いが、今二人はほぼ同じ身長のようだ。

「もうすぐ抜かれちゃいそう」
「フミちゃんなんて、夏休みが終わる頃には抜いてるよ」

 #名前#は憮然とした口調でそう言う。でもそれがおかしくて、文花はふふふと声を出して笑った。
 彼がその声色の通りの顔をしていないのを彼女は長年の付き合いから理解していたからだ。実際、笑った文花と同じ様に#名前#もまた控えめだが笑い声を響かせている。
 そうやって二人でひとしきり笑い合った後、#名前#が「ところで」と話を元に戻す。

「フミちゃんは何でこんなところに? 虫取り網を持ってるところを見ると、虫取りをしてたみたいだけど」
「そうなの。どうしてもクワガタが捕まえたくて」
「ああ、クワガタか。このあたりに居るって言うよね。見つかった?」
「それが、全然なの」
「そっか」
「だから奥まで行ってみようかなって。でも、決心が付かなくて」

 ほら、この奥――廃トンネルのあたりまで行ってしまうと少し気味が悪いでしょ。
 周りに人が居るわけでもないのに、文花は声を潜めてそう言って、#名前#はゆっくりと頷いて「あの辺りには沢山居るからね」と相づちをうった。それだけで通じ合える二人の間では『何が』だなんていう主語など必要なかった。

「そうなの! 廃トンネルの中からは裏路地とかとおんなじ……ううん、もっと変な気配がするでしょ」
「フミちゃんはそういうの、敏感だもんね」
「#名前#くんだって敏感でしょ。私なんて黒くてぼんやりって感じにしか見えないもの。私以上に見えてるんでしょ?」
「そうでもないよ」
「えー、そうかな?」

 相変わらず主語のない会話は続く。あえてここで主語を明らかにするのなら、『妖怪』がぴったりくるのか。
 つまり、である。彼らはこの世の中に、普通は見えない存在――妖怪が居ることを当然のように受け止めている。

「僕はフミちゃんが思ってる程凄い奴じゃないよ。」
「そんなこと無いと思うけど」

 否、そんなことあって堪るものか。文花はそう考える。
 何故ならば、何を隠そう、文花に妖怪に関する処世術を教えたのは#名前#だからだ。周りと違う世界を写す瞳では、それだけで生き辛い。それをうまくカバーする方法を文花は全て#名前#から学んだ。
 元々天然な気質であるため今でも変わっていると言われるが、それでも彼と出会う前の彼女に比べると可愛いもの。最初は文花は相当変わっていた。変わっていると言い表すより、むしろ異質と形容するのが正しい程に。今でこそ母に「昔夜中に目が覚めたら、暗闇の中で文花が一人楽しそうに笑い声をあげてるなんて事があったのよ」なんて言われるが、それが笑い話であるのは『今はそうではない』という事実があるから。
 とどのつまり、今現在の木霊文花は#名前#の存在なしではあり得ないのだ。

「#名前#くんは色んなこと知ってるでしょ」
「知ってるだけじゃどうにもならないけどね」
「でも本当に上手に振る舞えてるよ。それって色んなことを知ってるからでしょう?」

 少し前のことだが、目の前に妖怪が近づいて来たことがあって、それでも#名前#がピクリとも反応を示さなかったことを文花は覚えている。あれは本当にすごかった。彼女が#名前#なら、妖怪が近付いてきただけで目線をさまよわせてしまっただろう。だのに、#名前#は本当に、本当になんの反応もしなかったのだ。

「私も#名前#くんみたいに上手に振る舞いたいな」

 妖怪が見えていないように振る舞う。その方が厄介なことに巻き込まれにくいと教えてくれたのも#名前#である。出会った頃から今でも、#名前#は文花の文字通り憧れの存在である。
 勿論、それが恋愛的な感情になることは今のところないが。

「……やっぱり、フミちゃんは僕を過大評価してると思うけどな」

 名前は不服そうにそう言うが、その間にも足元にじゃれつくように現れた小さな黒い影を重心移動という最小限の動きでもって回避したのを文花は見逃さなかった。その行動が余りにも自然であったから、彼女でさえ彼の足元を見ていなければ何があったのかなどさっぱり気が付かなかっただろう。

「ふふふ」

 文花は堪えきれずに笑ってしまった。
 突然笑い出した文花を相手に、#名前#は首を傾げる。それがおかしくて、また文花は笑ってしまう。#名前#は言っていることとやっていることがまるでちぐはぐで、兎に角おかしくてしかたない。

「#名前#くんは面白いなあ」
「そう、かな……?」
「面白いよ」
「じゃあ、それはほめ言葉として受け取っておくよ」
「勿論誉めてるつもりなんだけど」
「なら良いけど」

 そこで二人は一旦口を閉ざす。
 こうやって唐突に訪れる沈黙は、されど不快ではなかった。馴染みの二人にとってはそれすら良くあること。しかし、彼がどこか気もそぞろで辺りを伺っているようであったため、文花もつられて不安になる。
 #名前#は先程からしきりに跳ねた後ろの髪の毛を撫でつける癖を見せているのも気になった。

「ねえ、何かあったの?」

 たった一音の違いとはいえ『何があったのか』と聞かなかったのは、いつも主語を除いて会話をしているが故のものか。あからさまに尋ねこそしなかったが、#名前#がこの場に居ること自体から何かあったのだろうと察することができていた訳で、それを後押しするような彼の様子に不安を募らせる。

「私で良ければ相談に乗るよ。#名前#くんと私の仲だもの」

 強引に聞き出そうとはせずに、程良い加減で干渉を試みれば#名前#は逡巡する。何もないよと言われることを文花が覚悟した時、彼は「ねえ、フミちゃん」と重い口を開いた。

「ここ最近、おかしなことはなかった?」
「おかしなこと?」
「変わったことでも良いよ、前から変化があったこととか、些細でもいいから何か知っていたら教えて欲しい」

 どうしてそんなことを知りたがるかは不思議だ。だけど#名前#が良く分からないことを気にするのは今に始まったことではない。だからそれくらいならお安いご用と文花は思った。が、生憎何か変わったことなど殆ど思い当たらない。
 はて、ここ最近、何かあっただろうか?

「あっ……」
「何かあった?」
「うーんと、その、一応。でも、#名前#くんが知りたいようなことじゃないと思う」
「それでも念のために、教えて欲しいかな」
「でも……ねえ、笑わない?」
「……別に笑わないと思うけど」

 訝しげに言われてしまい、文花は決心する。「あのね」と言った声が上擦っていたが、その決心が揺らがないようにそのまま続ける。

「私、太ったの」

 #名前#は言葉を返さなかった。徐々に熱が顔に集まっていくのを文花は感じた。

「ふ、太ったっていったって、ほんと、ほんの少しだけだよ! そんなに、ほんとに太った訳じゃ、無いんだよ……」

 笑われこそしなかったものの、無性に恥ずかしくなって、耳まで赤くして文花は必死で言い訳をする。まだ幼さの抜けきらない少女であってもその性別は女であるから、異性の前で自身の体系の事――それもあまり良くない方向での話など、恥ずかしいに決まっている。
 最初は勢いよく飛び出した言い訳も、最後の方はその勢いをなくして消え入りそうだ。そして終いには言うんじゃなかったと後悔し、少女はギュッと目を閉ざす。

「そっか」

 だから、いつものような穏やかな声がかけられて、それはそれは驚いたのだ。#名前#はポツリと小さな声で「ひも爺か」と独り言ちていたが、驚愕で目を見開いている文花の耳にはその声は届かない。

「最近コンビニでついつい買い食いしちゃうんじゃない?」
「えっ、なんで知ってるの!?」
「……ひみつ」

 口の前で人差し指を一本立てて、全てを語らない#名前#。文花が今度ばかりは「どういうこと」と追求しても、彼はそれ以上は決して口を割らなかった。
 こうなってしまえば文花は諦める他無い。

「直に治まるだろうから問題ないよ」
「直にって、いつ?」
「直に、さ。それにフミちゃんは元々痩せ形だし、少々の体重の増減とか気にする必要ないと思うけど」
「気にするなって言われても、女の子は気になっちゃうんだよ」
「……へえ、大変なんだね、女の子って。兎も角、教えてくれてありがとう」

 もう#名前#はいつもと変わらない態度に戻っていた。体重が増えた話のどこに#名前#が知りたい情報が含まれていたというのか。

「ねえ、そんなことで良かったの?」
「うん、十分すぎるくらい」

 良く分からないけれど、それで#名前#は満足したらしい。

「なら良いけど」

 全てを語ってくれないのは少し寂しい。だけど仕方ないと思う気持ちもある。文花がこういう時にできるせめてもの事は、素知らぬ顔で笑うことくらい。

 木霊文花には霊感がある。
 だけど#名前#にそれは及ばないのだろう。#名前#の見えている世界は彼女のそれとは明らかに違うようであったから、それらを全て打ち明けて貰うことがないことが分かってしまうのが寂しい。#名前#の世界に入ることは出来ない。
 全て仕方ないことだった。

 木霊文花には霊感がある。
 #名前#程でなくても厄介事をもたらすその力を、それに彼女はその不利益を自覚した上で、実はそれほど嫌ってはいないのだ。これも一つの個性なのだと、割り切ってしまえるほどには彼女は天然でありながら、かつ図太いところがあったのも確か。

 でも。

 あえて言えばただ一つ、たった一つについては不服に感じる点がある。霊感があることをその一点においてのみ彼女は残念に感じているようなことが。

「じゃあ、僕そろそろ帰るよ。ばいばい、フミちゃん」

 優しい声色で手を振った#名前#。その#名前#の顔が文花には見ることができない。
 とれない仮面のように#名前#の表情を覆い隠すのはいつだってあの異形を示す黒い靄。どうしてだとか、何故だとかという疑問はもう随分前に無くしてしまっている。初めて会った日からずっとそうだったから、文花にとってはそれはもう今更のこと。#名前#が本当は人間じゃなくて、あれら異形のものと同じなのだと言われても、文花はそれほど驚かない自信があった。恐らくクラスメートの一人がそれらしいので、別段珍しい事とも思えない。それでも。

「じゃあ、私はクワガタ探しを少し粘ってみるね」

 今、#名前#は笑ったのだろうか。穏やかに目を細めたのだろうか、それとも。
 自身に向けられている彼の表情は一体どんなものなのか知ってみたい。それが分からないことが唯一文花には残念であった。だから黒く塗りつぶした先を、彼のそのままの表情を彼女はいつかは見てみたいと願うのだ。

「じゃあね、#名前#くん」

 そんなささやかな願いを込めて、去っていく彼に文花は笑顔で手を振った。



2015/06/06(土) 逢魔時には気を付けて。

「いい加減、もう家に帰りましょう」
「……あともう少ししたら帰るよ」
「もう少しってあーた、そう言ってからもう二時間ですよ、二時間!!」
「もー、うるさいなあ」

 心配してくれている妖怪執事を邪険に扱い、ケータは大きなため息をついた。
 帰りたくない。否、帰れるものなら帰りたいが、帰ることができない。子供らしいまだ幼く丸みを帯びた顔をしかめ、彼は滑り台の上から動こうとはしない。

「家に帰って謝りましょう。そうすれば許してもらえますよ」

 ウィスパーの言葉にケータは眉を少し動かす。
 彼の言うことは正しいと、この幼い少年は分かってはいた。朝くだらない理由で母と喧嘩をしたこと。叱られたのが不快で吐き捨てるようにひどい言葉を言って家を飛び出したのは自分自身。小学五年生といえば十分に思慮分別がつく年齢。彼とて自分が悪かったと思っているし、自身の非を素直に認めて謝れば母が許してくれる事くらい、十分に愛されて育った彼には分かっている。
 それに、ウィスパーだって心配してくれているが故のその言葉なのだと理解だってしているのだ。だけど、気持ちと体はどうやって動かなかった。ただ謝る、それだけのことができれば苦労などしない。その場から動けないまま、時間だけが過ぎていく。

「もう暗くなってしまいますよ。きっとケータくんのことを心配しています」

 分かってるよ。うるさいな。
 今度はその言葉を飲み込んで、ケータは座ったまま足を抱え込む。こみ上げてくる感情とその感情に起因して湧き上がる何かを必死で耐えるように、おでこを膝に強く押しつけた。
 気が付けば空の頭上近くにあったはずの太陽はもう辺りの民家の屋根に隠れてしまいそうな位置にいる。青かった空は、燃えるような赤に染まっていた。

「あれさ」
「はい」
「あれ、何してるんだろ」

 帰りたいという言葉が口を突いて出そうになるのを耐え、思考を切り替えるようにして彼はそう言った。黒い両の目でみつめる先には、この公園にある少ない遊具の一つ、ブランコが。そしてそれに乗って全力で遊ぼうと試みている人の姿があった。
 それにしても、その人物。いつから居たのだろうか。ケータが気が付いた時には既にそこにいたようではあった。自分のことで手一杯だったケータは、今更ながら気が付いたようにその人物へと目を向けていた。

「怪しいよね」
「……確かに不審ですね」

 その人の姿が小さければなんの問題もなかっただろう。しかし、残念なことにそれはケータより一回りは年上であろう男性だ。その人物をお兄さんと言うべきかおじさんと呼んで良いものか、小学五年生から見れば二十前後などもはやおじさんと言えるのだが、とりあえずこの場ではおじさんではなくお兄さんと形容する事にする。彼の精神の安定のためにも。

「遊んでるよね」
「ええ、そうですね。それも全力で」

 子供のサイズに合わせて設計された遊具はその人物の体格では小さすぎる。座ればどうしても足が地についてしまい、立って漕ごうとすれば重心の位置が高くなり不安定さが増してしまう。子供向けの遊具は飽くまでも子供向け。大人を対象にして作られていないのは一目瞭然である。いくら果敢に試みようとも、どうしても子供のようには乗りこなせない悲しみがそこで繰り広げられていた。

「妖怪のせいかな」
「そんな妖怪不祥事案件、聞いたことございませんよ」
「でもおかしいよ」
「世の中には元々おかしい人が少なからず居るものです」
「ふーん……あ、落ちた」

 彼らが話をしている間にも色々と試行錯誤を続け、その“お兄さん”は屈み込んだ状態で乗るのが一番安定すると気が付いたらしい。必死でブランコを乗りこなそうとし、少しその触れ幅が大きくなってきた辺りでされど体制を崩し、地面へとダイブしていた。
 辛うじて顔から落ちることは避けられたが、伸ばした腕では勢いづいた体を受け止めることができず、そのまま地面を擦って横たわる。
 しかし悲劇はそこで終わりはしない。

「あっ」

 使用者を振り落としたブランコが、その運動エネルギーを用いてそのまま地に倒れた男の頭に襲いかかったのだ。彼がその身を投げてから、その間一秒足らずのことである。
 危ない。その一言すらケータが言うことはできなかった。

「いたっ!」

 声を上げたのは恐らくケータだけ。視覚的な痛覚を感じ、彼は思わず目を閉じる。ガンッという鈍い音が生々しく、容赦なく辺りに響いた。

「だ、大丈夫でしょうかね……?」
「た、大変だ!」

 ウィスパーの恐る恐るといった声を合図にゆっくり瞼をあげる。頭を抱えるようにしてうずくまり、そこから動かない姿を捉えたケータは、弾かれたように立ち上がる。

「大丈夫ですか!?」

 滑り台を駆け下り、砂場を横切ってその人のもとへ駆け寄る。うずくまった彼は頭をさすりながら、若干潤んだ目で彼を見上げた。身長の高い大人を見下げるということは中々あるものでは無いので、見上げられた瞳にケータは少し動揺する。
 それに、間近で見たお兄さんはその表現が相応であるように、図体のわりにどこか幼さを感じさせる顔つきをしていた。ケータはどぎまぎとした気持ちを誤魔化すように、他人行儀な言葉を止めて普段に近い言葉遣いで「えっと、大丈夫?」と再度声をかける。

「え、あ、ああ。大丈夫、多分」
「すごい音がしてたけど」
「ああ、確かに酷い音だった。たんこぶになりそうだな、でも痛いだけで済んで良かった」

 相手は子供向けの遊具で一人遊ぶような奇行に走る人間だ。けれど、彼を見上げたて痛みに耐えながらも返事をする相手の顔はどこにでも居るような、いたって普通の人のものである。不審者だったらケータを逃がさなければという使命でもってケータの後を追いかけてすぐ隣にやってきていたウィスパーも、警戒を若干緩める。

「その、何をしてたの?」
「見ての通り。遊んでたんだよ」
「落ちてたけど……」
「ああ、落ちちゃったね。子供はやっぱりすごいよ、あんな難しいものを乗りこなせるんだから」

 恥ずかしそうにそう言って、彼は笑った。そしてゆっくりと立ち上がり、服に付いた砂埃を払う。

「だけど良かったよ」
「……良かったって、なにが?」
「いや、やっと声をかけて貰えたなって」

 見下ろしていた相手を今度は見上げる。お兄さんは目を細めて微笑んでいて、その横顔を夕日が赤く染め上げている。
 ケータは何故かも分からず息をのんでいた。

「どういうこと……?」
「そのままの意味だよ。認識して貰えないのはとても悲しいことだから」
「えっと」
「君、ずっと考え込んでいただろう? 何に悩んでるのかは知らないけど、こっちに気が付かない程真剣に滑り台の上長い間難しい顔をしていたから心配してたんだ」
「み、見てたの?」
「まあね」

 羞恥からケータは頬が熱くなるのを感じたが、幸いにもあたり一帯は夕焼けの色。きゅっと口元を引き締めて、ケータは相手を真っ直ぐ見た。

「そろそろ帰らないと危ないよ」
「……帰るよ」

 お兄さんもウィスパーと同じ様なことを言うから、素直に頷くことは出来なくて、あわせていた目を逸らす。

「こういう時間は変な奴が良く現れるからね、気を付けた方が良い」
「変なのって、お兄さんみたいなの?」
「ああ、言い得て妙だな。だけどそんなに俺は変だったかな?」
「そりゃあ……子供用の遊具で全力で遊んでるなんて、やっぱり怪しいよ」
「確かにそうだ、我ながらかなり怪しいな」

 大概失礼な事をケータは口にしていたが、お兄さんは怒るでもなく、寧ろ楽しげにくくくと堪えきれないように声を漏らして笑う。

「そうだな。じゃあ、少しでも誤解解くために名前でも名乗っておこうか。俺は#名前#って言うんだ」
「オレはケータ」

 ケータが反射的に名前を名乗れば、隣でウィスパーが「ケータくん! 知らない人に名を名乗るのは感心できませんよ!」と声を荒らげる。
 そんな様子を横目でチラリと見るだけに留め、「#名前#さん」とケータは相手の名前を呼んでみる。呼ばれた#名前#は強打した後頭部を撫でながらか「なんだい?」と答えてくれた。

「呼んでみただけだよ」
「そうかい」

 気のない返事が返ってきて、その後少しの沈黙があたりに訪れる。#名前#は公園を見渡し、ケータもまた彼につられてあたりを見回した。

「暗くなってきたね」
「そのようだね。……さてケータ君、繰り返すが早く帰った方が良い。このあたりは治安も良いし、不審者の目撃だって少ない。だけどやっぱり用心に越したことはないからね。俺みたいなのが居るくらいだ、盗人だって居るだろう。そのカッコイイ時計をとられたりしたら困るだろう?」
「それは、困るかな。……うん、もう帰るよ」
「それが良い」
「というか、#名前#さんは帰らないの?」

 虚を突かれた。正しくそうであったのか、#名前#は呆けたような表情になった。しかしそれも束の間。すぐさまニッと意地悪い笑みを浮かべる。

「“あともう少ししたら帰るよ”」

 少し前にケータがウィスパーに言っていたものと同じ言葉を、そっくりそのまま#名前#が口にしていた。今度はケータが呆ける番だ。目を丸くするケータを見て、当の本人は悪戯が成功した子供のような様子を見せる。

「さあ、お帰り。夜が来る前に」

 #名前#はケータの頭を優しく撫でる。浮かべた優しい表情が、けれども有無を言わせない強さを感じさせたため、ケータは気が付けば頷いていた。
 意味ありげに言われた言葉の意図は問い質すことはできなかった。ウィスパーと話しているのを独り言を言っているように受け取られていて、それがおかしくて言われたものなのだとケータは処理するのとにする。それに不思議ではあったが、#名前#は悪い人には見えなかったのだ。

「オレ、帰るよ」

 帰って謝るんだ。
 決意をそのまま口にすれば、心を覆っていた靄が晴れ渡るようだった。あれほど重かったはずの足が、今ではとても軽い。

「ちゃんと帰るよ」
「ああ、そうすると良い。気を付けるんだよ」

 公園の出入り口に向かって歩いていきながらそう言って、ケータは振り返りはしなかった。ウィスパーは#名前#をマジマジと見た後、ゆっくりと自らの幼い主の背中を追う。
 そこで#名前#が小さな声で囁いた。

「注意した方が良い」

 その声を拾ったのはまだ近くに居たウィスパーだけ。その言葉は誰に向けられたものかは分からなかったけれど、咄嗟にウィスパーが後ろを振り向いてしまったのは、それが自身に向けられたらものであると無意識に察知していたからか。
 そして振り返った先で、ウィスパーは#名前#と真っ直ぐ目を合わせることとなる。

「向こう側は欲しいものの為なら手段は選ばない」

 それはまるで忠告のよう。#名前#はどこか悲しげで、しかしそんなことは今問題ではない。目を離せず、身動きすら出来ずにいるウィスパーに彼はこうも続ける。

「向こう側を覗けば、自ずと向こう側と目が合うものだ。気を付けた方が良い」
「それは、一体、どういう」
「こちらが見つめなくても、向こうに見つめられる場合もあるくらいだ。あの時計を持っているなら、警戒するに越したことはないだろう?」

 動揺したウィスパーの問いに#名前#は直接的な回答を返さなかったが、しかし妖怪ウォッチのことを口にして、加えて意味ありげに微笑むという『返事』をしてみせた。
 自らを妖怪執事と名乗るウィスパーだ。曖昧な表現の中に込められたら意味を理解できないはずもない。頭の中で警鐘がけたたましい音でもって鳴り響く。

「け、ケータくん!」

 ウィスパーは大きな声をあげた。その声により、そこで初めてケータが後ろを振り返る。

「え? ウィスパー?」
「ケータくん、この人は、」

 この人は。この人は? 何だというのだろうか。
 焦燥から何かを伝えなくてはと口を開いて、けれどそこから先の言葉が見つからない。その時ウィスパーは思わず#名前#から目線をはずし、ケータの方を向いた。
 そう、#名前#に背を向けてしまっていた。

「#名前#さん……? あれ、居ない……?」
「え」

 ケータが言葉をこぼした時にはもう遅かった。たった一瞬、それだけの間で見渡した公園はもぬけの殻となっており、慌てて辺りを見回してみても、そこには何の人影も残されていない。唯一、ブランコだけがゆっくりと揺れているだけで、それもやがて動かなくなる。

「……っ!」

 背筋を駆け抜けたのは、恐怖だったのだろう。ぞっとするのは未知との遭遇に理解が追い付いていないからか。恐怖に愕然として、片や呆然として、二人はそこから動けずに佇む。

「#名前#さん、どこ行っちゃったの?」
「……たまに居るんですよ、ああいうのが」

 人に見えた。人だと思った。だけど、そうではなかったのだろう。
 ウィスパーは少し考え込むような素振りを見せる。そしてその後、一呼吸置いて「帰りましょう」と戸惑って視線をさまよわせているケータを促した。

「でも」
「いいえ、帰りますよ。ワタクシとしたことが、うっかりしておりました。今は黄昏時です」
「たそがれ?」
「夜と昼の間のことです。鬼時間のようにはっきりとその違いは目に見えませんが、あちらとこちらの境界が曖昧になる時間なのです」

 その結果として怪異が多い時間が黄昏時である。ウィスパーはケータにそう語る。

「別名、逢魔時」
「おうまがどき」

 言葉をオウム返しして、ケータはウィスパーに促されるまま歩き始める。
 子供一人分の影が長く伸びていて、その影だけは歩き出した後も暫くは名残惜しげに公園へと居座っていた。

「夜中の皆が寝静まった丑三つ時などはこちらに潜む闇が活発に動き出す時間です。それに対して黄昏時は向こう側からの干渉を受けやすいのです」
「何それ、良く分からないよ。どういうこと」
「つまり、黄昏時に会う奴らは他と比べて質が悪いということです。我々が先ほど会った#名前#と名乗った相手も、恐らく向こう側の住人――」

 #名前#は終始繰り返し“気を付けろ”と言っていた。あえてこちらに寄越した言葉が忠告とは、どういうことなのか。何かしようと思えば出来ただろうに、手のひらを反すように瞬く間に姿を消して手を引いた所を考えると、癪ではあるが今はその言葉に従うのが吉か。
 
「え、#名前#さん、妖怪だったの!? あ、だから急に居なくなったのか」
「さあ……どうでしょうか。妖怪だと良いのですが」
「なにそれ、ウィスパーも実は良く分かってないんじゃん」
「ウィッス、そーかも知れませんね」

 とぼけたようにそう言ったウィスパーを見て、そこでケータはやっと普段に近い和らいだ表情を作る。彼はこの現状をウィスパーの様子から何か大変なことが怒っていると察するには十分に聡く、しかしそれが何故大変なのかと正しく理解するには幼すぎたのだ。

「#名前#さん、また会えるかな」
「ワタクシとしては、もうお会いしたくは無いですがねぇ」
「えー? 今度はメダル貰いたいじゃん」

 あんなに完璧に人間に化けられるんだから、きっとSランクなんだよ。絶対に友達になりたいじゃん。
 歯を見せてに笑う少年の姿は無邪気そのもの。そんな主の姿を見てしまうと、下手なことを言って不安を煽る必要はないかと考えてしまう。その分執事として周りには注意しておこうとウィスパーは決める。

「友達になれるといーですね」
「うん!」

 あれだけふてくされていたのはどこの誰だったのか。今泣いた烏がもう笑うかの如く、元気良く帰り道を駆けていく。ウィスパーがその後に続けば、公園に影は全てなくなる。

 もう夜がすぐそこまで訪れていた。



2015/05/05(火)  

妖怪沼にハマったと思ってたんですよぉ、、、
そしたらね、気がついたらね、長谷部沼に落ちてたんですよぉ、、、

どう言うことなの。

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